人間のための地球だとか、人間が一番偉いと思いこんでいることに気が付いていない人が多いように思う。さだまさしの「キリマンジャロの雪」という歌が何と なく好きなだけで、今度の旅にケニヤを組み込んだ。今年は特に雨が少なく、アフリカになくてはならないアカシアがほとんど枯れている。来年はもうだめだと 思うような光景だ。運転手は「雨が降ればすぐに戻るよ」と言っていたが、我が家の大きな花水木が今年はつぼみを開くことなく枯れ果てた。私には雨が降って も、決して元に戻ることはないと思った。その前に来て見てよかったと思う。アンセボリ国立公園に入ってすぐに、広大な湖が干上がってできたと思われるまっ 平らな砂の平原を走り始めるた。突然われわれの日常では、全く見ないような光景、シマウマの死体が現れる。アフリカが温暖化で死に絶えていくような光景 だ。私は美しい光景をおさめに来たのに、何も撮れないと思っていたが、平原の彼方の蜃気楼の中に背の高い動物がたっているのに気がついた。キリンだ。本当 に美しいと思った。まっ平で周りには何も見えない砂の平原に一人ぼっちで歩いている。しばらく行くと何もないと思っていた平原に緑で縁どられた沼地があっ た。おそらくキリマンジャロの伏流水だろう。像やカバの大型動物や小鳥まで無数の動物が水辺で遊んでいる。ハイエナが実は本当にかわいらしい顔であること に気がついた。人間しかいない地球は想像できないほど殺伐としたもので、きっと美しくない世界に違いない。この美しさを伝えたい。
animal
8月 16th, 2009夏の情景
8月 11th, 2009ギリシャはできたらアドリア海かイオニアの海で、海の見えるホテルで、おいしいものを食べ、早朝、誰もいないプライベートビーチでフルートを吹き、そして 昼間は泳いでゆっくりとしたいと思った。しかし写真を撮りながらの車の旅は、夕刻にそんな恰好なホテルに行き着くのは難しい。一日だけは、ギリシャ最南端 近のイオニア海に接するいいホテルを見つけた。しかし海の見える部屋は空いていなかった。夕刻といっても9時近く、泳ぎ終わった後、ひとりでフルートを吹 いているとビーチに現れた老婦人が軽く手を叩いて、会釈した。私も吹きながら軽く会釈を返した。老婦人は一人で沖まで泳ぎだした。朝食のとき、その老婦人 は一人でコーヒーを飲みながらまた会釈してくれた。亡くなる少し前にシチリアに旅した母を思い出した。その日はアドリア海の落日を見たいと思い、ギリシャ 西端の海岸を走ってみた。しかし砂浜ばかりで、翌々日の早朝にはギリシャを後にするのに、ここにとっまってはもったいないと思い、コリントまで走ることに した。落日に間に合う9時頃までにはつきたいと思い、走った。途中かなりの山岳地帯を走っている時、にわか雨が降り出した。夏の高い太陽が影を落とさない 状況では撮りにくいと思う私にも、オリーブの木にも恵みの雨だ。落日にはぎりぎり間に合った。この時間ではいいホテルに泊まるはもったいない、町中の安宿 に泊まった、日の出の古代コリントの遺跡(写真)の静けさは、昼間の観光客が大勢いる中では味わえない。
コンサート
8月 8th, 2009最終日、ミステルバッハの市民ホールで生徒によるソロコンサート、モーツアルトのコンチェルトを吹きたかった。一番目に演奏したファンさんは台湾から来 て、すでにオーストリー13年目、もうすぐこの曲で卒業試験、この舞台で聞くコンチェルトはものすごく難しい曲のようにように聞こえた。この緊張感の中で コンチェルトを吹くことは6歳頃から始めても大変なんだと思った。ほぼ完璧に聞こえても多くの拍手はもらえなっかた。私は休憩後の最初だ、カーリンは「春 の海」は絶対にお客さんに喜んでもらえると、最後の最後まで舞台態度、曲に対する考え方等、指導してくれた。渡辺さんからは一緒にオーストリアの観客の前 で日本の名曲を楽しみましょう、という言葉があった。今まででいちばん落ち着いて、以前よりもかなり良くできたと思った。拍手が鳴りやまず、もう一回舞台 に立たせてもらった、舞台裏では若い子たちが親指のエールを送ってくれた。最後にこの写真をっとている時、みんなが「蛍の光」を歌いだした。コンサートが 終わった後、宿舎にあるホイリガーに集まった。翌早朝発準備のため、少し遅れて加わった私に日本語で「よかった!」と迎えてくれた。私は「次はコンチェル トの1番」を吹くといって、名残りを夜遅くまでホイリガーで惜しんだ。